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東京地方裁判所 昭和49年(レ)67号 判決 1976年7月15日

控訴人 カルロス・レグナー

右訴訟代理人弁護士 圓山潔

同 河原崎弘

被控訴人 株式会社中央プリント

右代表者代表取締役 宮本重雄

右訴訟代理人弁護士 平林良章

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し金一一万四〇三九円及びこれに対する昭和四七年六月二八日から支払ずみまで年五分の金員を支払え。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを二分し、その一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の負担とする。

この判決は被控訴人勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被控訴会社は控訴人に対し、別表(一)記載のとおり、昭和四四年五月二一日から昭和四五年一二月二五日まで七回にわたり、合計五四万円を期限を定めずに貸し渡した。

2  ところが、控訴人は右貸金のうち合計三二万〇一一一円を弁済したのみで、残金二一万九八八九円の支払をしない。

3  そこで、被控訴会社は右残金の支払を求めるため、渋谷簡易裁判所に支払命令の申立てをし、右の支払命令正本は昭和四七年六月二七日控訴人に送達された。

4  よって、被控訴会社は控訴人に対し、右貸金残金二一万九八八九円及びこれに対する控訴人に支払命令正本が送達された日の翌日である昭和四七年六月二八日から支払ずみまで民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1の事実のうち、被控訴会社が控訴人に対し、昭和四五年二月二三日、二五万円を期限の定めなく貸し渡したとの点は否認し、その余の事実は認める。

但し、昭和四五年二月二三日、控訴人が被控訴会社から一五万円を期限の定めなく借り受けたことは認める。控訴人は右借受の際、すでに借り受けていた一〇万円と併せて金額二五万円の借用証を作成し、被控訴会社の従業員に交付したものである。

三  抗弁

1  弁済

控訴人は被控訴会社に対し、別表(二)記載のとおり、昭和四四年六月から昭和四六年四月まで、二八回にわたり合計三五万一一一一円を前記貸金債務の弁済として支払った。

2  相殺

(一) 控訴人は被控訴会社に対し、昭和四五年六月分及び七月分の未払給与として各四万円及びのちに述べるように退職金として五八五〇円、合計八万五八五〇円の債権を有しているので、これを自働債権とし本訴において右1の弁済後の貸金残金と対当額で相殺する旨の意思表示をした。

控訴人は、昭和四四年五月二一日被控訴会社に入社し、昭和四六年四月一一日任意に退社したものであるから、同社の就業規則第五三条の規定により、控訴人は被控訴会社より退職金の支給を受けることができ、勤務期間二三か月と二一日の控訴人が受けうる退職金の額は中小企業退職金共済法(以下共済法という。)によれば少なくとも五八五〇円となる。なお、被控訴会社は同社の退職金は退職金規定により、中小企業退職金共済事業団(以下事業団という。)から支払うものであるので、被控訴会社には支払義務はないと主張するが、控訴人はそのような事情を告知されず、退職金規定も示されず、退職金共済手帳をも交付されていない。したがって、控訴人は被控訴会社から退職金を受ける権利を有する。

(二) 仮に、右1の弁済の主張のうち、昭和四六年二月の給与からの天引による三万一〇〇〇円の弁済が認められない場合には、予備的に右の控訴人の被控訴会社に対する昭和四六年二月分の未払給与債権三万一〇〇〇円を自働債権として本訴において右1の弁済後の貸金残金と対当額で相殺する旨の意思表示をした。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実のうち、控訴人が被控訴会社に対し、昭和四六年二月、三万一〇〇〇円を弁済したとの点は否認し、その余の事実は認める。

2  抗弁2(一)の事実のうち、控訴人が被控訴会社に対し、昭和四五年六月分及び七月分の未払給与債権各四万円を有していたことは認め、五八五〇円の退職金債権を有しているとの点は否認する。

被控訴会社の退職金支給規定によれば、その退職金は共済法に基づき支給することとなっており、同法によれば退職金は事業団が支給することとなっているのであるから、被控訴会社には控訴人に対する退職金支払義務はない。

3  抗弁2(二)の事実のうち、控訴人の被控訴会社に対する昭和四六年二月分の給与のうち三万一〇〇〇円が未払であったことは認める。

五  再抗弁

控訴人主張の昭和四五年六月分及び七月分の未払給与各四万円は、昭和四五年七月三〇日、三一日の両日に各四万円を、また昭和四六年二月分の未払給与三万一〇〇〇円は、昭和四六年三月三一日にそれぞれ支払ずみである。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁事実はいずれも否認する。

第三証拠≪省略≫

理由

一1(一) 請求原因1の事実のうち、被控訴会社が控訴人に対し、昭和四五年二月二三日、二五万円を期限の定めなく貸し渡したとの点を除くその余の事実は当事者間に争いがない。

(二) そこで被控訴会社が、昭和四五年二月二三日、控訴人に対し二五万円を期限の定めなく貸し渡したかどうかについて判断する。

≪証拠省略≫によれば、被控訴会社は昭和四五年二月二三日控訴人に対する金銭貸付のために額面二五万円の小切手を振り出したこと、右小切手は被控訴会社の経理担当者訴外佐藤正一によって現金化されたことを認めることができ、≪証拠省略≫中には被控訴会社の従業員が右の二五万円を控訴人に渡した旨の供述部分があるけれども、控訴人において右同日被控訴会社から金二五万円を一括して借受けた旨の借用証が証拠として提出されていないこと並びに≪証拠省略≫に照らし、右供述部分は信用できないし、また右小切手現金化の事実によっては控訴人が右の二五万円を受取ったとの事実を認めることはできない。もっとも、(1)≪証拠省略≫を総合すると、控訴人が右同日、被控訴会社に対し金額二五万円の借用証を差入れたことが認められるけれども、(2)右(1)の認定の用に供した各証拠によると、控訴人は昭和四五年二月ころアパートを借りるため約一五万円の金員を必要としており、その借入れを被控訴会社に依頼したこと、控訴人に対する貸付を担当した被控訴会社の従業員訴外秋山泰は、同年二月二三日控訴人に対し、控訴人が当時被控訴会社から借入れていた一〇万円と合わせて金額二五万円の借用証を作成することを求めたこと、控訴人はこれに応じて金額二五万円内訳金一〇万円、金一五万円なる借用証を作成して訴外秋山泰に交付し、同人より一五万円の現金を受取ったこと以上の事実を認めることができるから(右認定を覆すに足る証拠はない)、右(1)の事実によっては控訴人に右同日二五万円を交付したとの事実を認めることはできない。また≪証拠省略≫のうち控訴人に額面二五万円の小切手を交付した旨の供述部分は、≪証拠省略≫に照らすと信用できず、他に控訴人に同年二月二三日二五万円が交付された事実を認めるに足りる証拠はない。そうすると、本件全証拠によるも被控訴会社の前記主張事実を認めることはできない。

(三) したがって金一五万円につき、控訴人が被控訴会社から、昭和四五年二月二三日、これを期限を定めずに借り受けたことについては当事者間に争いがないことに帰するから、結局控訴人は被控訴会社より、昭和四四年五月二一日から昭和四五年一二月二五日まで、七回にわたり合計四四万円を期限を定めずに借り受けたものというべきである。

2 請求原因3の事実は訴訟上明らかである。

二1 抗弁1の事実のうち、控訴人が被控訴会社に対し、昭和四六年二月、三万一〇〇〇円を弁済したとの点を除くその余の事実は当事者間に争いがない。控訴人は、昭和四六年二月、被控訴会社に対し三万一〇〇〇円を弁済したと主張するが、≪証拠省略≫によれば、被控訴会社は控訴人に対する昭和四六年二月分の給与のうち三万一〇〇〇円を正規の支給日に支払うことができず、右未払分は経理上は預り金として給与から控除したこと、右未払分は同年三月三一日控訴人に対し右同額の小切手で支払われ、そのころ、現金化されたことを認めることができ、≪証拠省略≫は右事実と矛盾するものではなく、結局本件全証拠によるも控訴人の前記主張事実を認めることはできない。

2(一)(1) 抗弁2(一)の事実のうち、控訴人が被控訴会社に対し昭和四五年六月分及び七月分の未払給与として合計八万円の債権を有していたことは、当事者間に争いがない。控訴人が、当審における昭和四九年一〇月二二日の第三回口頭弁論期日において、右未払給与債権を自働債権として本件貸金債権残額と対当額で相殺する旨の意思表示をしたことは、訴訟上明らかである。

(2) しかしながら、≪証拠省略≫を総合すると、被控訴会社は控訴人に対する昭和四五年六月分の給与の一部四万九〇〇〇円、同年七月分の給与の一部四万七〇〇〇円を正規の支給日に支払うことができなかったこと、このため右未払分は、いずれも、一旦被控訴会社の預り金として経理上は処理したこと、そして前者のうち九、〇〇〇円及び後者のうち七、〇〇〇円はその都度それぞれ本件貸金の弁済に充当したこと(別表(二)の同年六月、七月に該当)、その後昭和四五年七月三〇日、三一日の両日現金で各四万円宛控訴人に対して支払ったことを認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫

したがって、控訴人の主張する前記相殺は効力を生じないものというべきである。

(二) 次に、退職金債権による相殺の主張について判断する。

(1)  労働者の使用者に対する退職金請求権は、就業規則または労働協約等によってその支給の条件が明確に規定されている場合には、退職金請求権は労働契約の内容となるものであるから、労働者は就業規則または労働協約等所定の条件が充足されるときには所定の退職金を請求しうる権利を取得すると解するのが相当である。これを本件についてみてみると、≪証拠省略≫によれば、被控訴会社においては、その就業規則の第五三条の規定により退職従業員に対して退職金支給規定により退職金を支給することとなっていたこと、そして退職金支給規定には、①被控訴会社は共済法に基づく退職金共済制度に加入して従業員に退職金を支給すること(同規定第一条)、②被控訴会社は原則としてすべての従業員について事業団との間に退職金共済契約を締結すること(同規定第四条)、③右契約の掛金月額が具体的に規定され、したがって共済法の規定により支給されるべき退職金の額が決定されうること(同規定第三条、第五条)とそれぞれ規定されていることを認めることができ、また、≪証拠省略≫を総合すれば、控訴人は、昭和四四年五月二〇日被控訴会社に入社し、同四六年四月一〇日任意に退職したもの(在職期間二三か月余)であり、かつ、被控訴会社の顧問或いは嘱託等の前記退職金支給規定第二条所定の退職金受給資格を有しない者に該当するものではないことを認めることができる。そして、右に認定した事実によれば、被控訴会社においては就業規則及びこれに基づく退職金支給規定により退職金の支給条件が明確に定められていること及び控訴人は右の支給条件を充足していることを認めることができ、したがって、控訴人は被控訴会社に対し、後記(2)の額の退職金請求権を有するものというべきである。

ところで、この点につき、被控訴会社は、退職金支給規定によれば、同社の退職金は共済法に基づき支給することとなっており、同法によれば退職金は事業団が支給することとなっているのであるから、被控訴会社には控訴人に対する退職金支払義務はないと主張する。なるほど、前掲甲第三号証の退職金支給規定の第一条及び第三条によれば、被控訴会社は共済法に基づく退職金共済制度に加入し、退職金の額、支給範囲及び支給方法は事業団との退職金共済契約約款の定めるところによるとされており、そして共済法によれば退職金は事業団から被共済者たる従業員に支払われることとなっていることを認めることができる。しかしながら、右の事実から被控訴会社の従業員が所定の要件に該当するときには事業団に対し退職金請求権を有することを認めることはできるが、このことから直ちに従業員が使用者に対し退職金請求権を有しないということはできないと解すべきである。けだし、退職金は賃金の後払たる法的性質をも有するものと解すべきであるから、本来使用者より従業員に支払われるべきものであり、本件のように使用者が退職金共済制度に加入したとしても、それは使用者の退職金の支払を確実ならしめ、かつ、退職金支払事務の便宜等を図るため右の制度を利用しているものというべきであるから、そのことによって従業員の使用者に対する退職金請求権に消長を来すべき合理的根拠はなく、また前記の退職金支給規定の各規定も控訴人の被控訴会社に対する退職金請求権を否定する趣旨とみることもできないからである(なお、同規定第八条参照)。そして、右のように解したとしても、使用者は、従業員が事業団から所定の退職金の支給を受けたときには、右の退職金支払義務を免れると解すべきであるから(本件においては被控訴会社のそのような主張及び立証はない。)、当事者間の権衡を失するものではなく、結局被控訴会社の前記主張は理由がない。

(2)  そこで、控訴人の被控訴会社に対する退職金の額について検討すると、前認定のとおり控訴人が被控訴会社に昭和四四年五月二〇日に入社し、昭和四六年四月一〇日に任意退職したこと、前記退職金支給規定によれば、被控訴会社の事業団との間の退職金共済契約に基づく掛金の月額は勤続年数一年未満の者については三〇〇円、勤続年数一年以上二年未満の者については五〇〇円と定められており、右掛金は、右契約締結の日の属する月からその従業員の退職した日の属する月まで毎月右事業団に納付するものとされていること、の各事実をもとに共済法(昭和四六年法律第五号による改正前のもの)及び中小企業退職金共済法の一部を改正する法律(昭和四五年法律第四一号)附則第五条の規定によって、控訴人が被控訴会社より支給を受くべき退職金の額を算定すると、その額は七九二〇円となり、控訴人の主張額である五八五〇円を下回らないことを認めることができる。

(3)  控訴人が、前記当審第三回口頭弁論期日において、五八五〇円の退職金債権(右債権の履行期は控訴人の退職と同時に到来するものと解する)を自働債権として本件貸金債権残額と対当額で相殺する旨の意思表示をしたことは、訴訟上明らかである。

したがって右限度で本件貸金債権は消滅したというべきである。

(三) 抗弁2(二)の事実のうち、控訴人が被控訴会社に対し昭和四六年二月分の未払給与として三万一〇〇〇円の債権を有していたことは、当事者間に争いがない。控訴人が、前記当審第三回口頭弁論期日において、右未払給与債権を自働債権として本件貸金債権残額と対当額で予備的に相殺する旨の意思表示をしたことは、訴訟上明らかである。

しかしながら、前認定のように被控訴会社は、控訴人に対する昭和四六年二月分の給与の一部三万一〇〇〇円を正規の支給日に支払うことができなかったため、右未払分を預り金として給与から控除したが、同年三月三一日この未払分を控訴人に対して支払ったのであるから、控訴人の主張する前記相殺は効力を生じないものというべきである。

四 そうすると、被控訴人の本訴請求は、控訴人に対し、貸金残一一万四〇三九円及びこれに対する支払命令正本が控訴人に到達した日の翌日である昭和四七年六月二八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合の遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却すべきである。

したがって、これと異なる原判決は右の限度において変更すべきであり、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九六条、第八九条、第九二条本文を、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 柏原允 裁判官 柴田保幸 志田洋)

<以下省略>

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